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七面山の大ガレ

「糸魚川-静岡構造線」は春木川を縦断しながらカーブさせられている

春木川は、早川町の南部に位置する七面山 (標高1,989m)の東側に源を発し、支流を集めながら北流して早川に合流しています。

春木川上流部の七面山東側の斜面には「大ガレ」と呼ばれる大崩壊地があり、現在も土砂の崩落が続いています。江戸時代に当たる1600年代にはすでに崩壊地が存在し、近年でも昭和50(1975)~ 昭和57(1982)年 の約7年間で35万m3が浸食されたと推定されています。

「糸魚川-静岡構造線」が春木川の中央部を縦断するとともに、七面山辺りで大きなカーブを描くように断層の向きが変化させられているため、破砕帯が数多く分布し、とてももろくて弱い地質となっていることが七面山崩壊の大きな原因とされています。

 

このような脆弱性による災害を未然に防止するため、堰堤の建設など砂防対策が進められています。

(七面山の東側)身延山奥の院から見た七面山オオガレ

身延山奥の院から見た大ガレ

(七面山の西側)​雨畑地内から見た七面山の崩落

西側から見た七面山の崩壊

(七面山の東側)​身延町和田地内から見た七面山オオガレ

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空から見た七面山の大ガレ

(右が磁北、上(西)側が雨畑)

空から見た大ガレ
(左写真の大ガレ部分を拡大)
空から見た大ガレ拡大図

↓春木川最上流の砂防堰堤に設置されたライブカメラの映像

(七面山大ガレ崩落による土砂の流入を監視)

リンク先:国土交通省 関東地方整備局 富士川砂防事務所

大​崩壊が始まった時期と原因

古文書などによれば、崩壊地は鎌倉時代には存在し、安政東海地震(1854年)、宝永地震(1707年)による崩壊はあったものの、特定の地震で大崩壊につながったのではなく、地震や豪雨、継続的な浸食によって次第に崩壊してきたと考えられています。

平安時代には堰止(せきとめ)湖が

七面山の崩壊地と春木川の合流地点付近には、厚さ4 m前後のシルト(砂より細かく粘土より粗い粒)と砂からできた湖沼堆積物が分布することが発見されています。

地層は支流性の土石流堆積物に覆われ、多数の大型植物化石を含んでいます。

大型植物化石としては立木のまま埋没した直立樹幹が含まれていて、年代測定の結果から、七面山崩れに関係した堰止湖が平安時代後期に存在した可能性があるとされています。

なお、堰止湖ができた誘因としては、1096年の永長地震が候補にあげられています。

(出典:産総研 地域地質研究報告5 万分の1地質図幅「身延地域の地質」)

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