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深海起源の天子山地と毛無山

毛無山は、富士山の西側で南北に連なる天子山地(または天守山地)の北部にあり、日本二百名山、山梨百名山、静岡百山に選ばれています。

身延町と静岡県富士宮市にまたがり、標高は1945.5mと天子山地の最高峰です。

毛無山より北は御坂山地に続き、南は天子ヶ岳や思親山のある稜線が富士川下流部の芝川付近まで続いています。

富士山北側の御坂山地にも毛無山がありますが、こちらは標高1,500mで河口湖と西湖の中間あたりにある別の山です。

 

どちらも登山家達に愛されている山々ですが、天子山地の毛無山は険しく難易度は上級とされています。

毛無山は、山梨県内でも昔から代表的な山で、全国で973ある一等三角点が設置されているほか、金鉱脈が存在したことから、江戸時代には金を採掘した金山でもありました。

地形図で見る毛無山の位置

出典:国土地理院「地理院地図」より作成
https://www.gsi.go.jp/tizu-kutyu.html

天子山地と毛無山付近の地質

天子山地は、東側斜面の下部が富士火山の噴出物に埋められ、西側斜面は急勾配で富士川谷へ下っています.

地質は、山地の北部が西八代層群(1500~1200年前、海底下の火山噴出物と深海の堆積物)、北部より南側は西八代層より新しい年代の富士川層群(の中でも古い時代1200~600万年前の「しもべ層」と「身延層」)からなることが分かっています。

 

毛無山から西側(湯之奥付近より北側)にある山地は、西八代層群の火山岩類などで構成され、毛無山付近は、富士川谷から1,500m以上の高度差がある最大の隆起部となっていて、西八代層群の最下部「古関川累層」まで露出しています。

 

【山地北部は御坂山地や丹沢山地より古い時代にできた(1500~1200年前)】

西八代層群は、海底下の火山噴出物と深海堆積物で構成されています。

 

御坂山地に広く分布する地層で、身延地域の北東部で露出する西八代層群は、下部が海底で噴火した玄武岩(一部安山岩)溶岩と火山砕屑岩からなる古関川層、上部が海底火山噴出物と深海底堆積物からできた常葉層に区分されています。

地層はほぼ深海で堆積したもので、水深は大部分の海域で2,000mかそれ以上,糸魚川-静岡構造線に近い地域ではおよそ4,000mと推定されています。西八代層群ができたのは、御坂山地や丹沢山地などが隆起して現れる前の時代であることも分かっています。

 

【山地北部より南側は、しもべ層と身延層(1200~600万年前)】


「しもべ層」の下部は砂岩泥岩互層で、上部は、一度堆積したあとで別の場所に運ばれて再び堆積した火山砕屑岩や砂岩、礫岩からできた火山砕屑岩礫岩砂岩互層部層の2種類に区分されています。

「身延層」は主に泥岩と砂岩泥岩互層で構成され、下部には巨礫岩層、上部には安山岩火山砕屑岩を伴っています.

しもべ層と身延層には、関東山地や御坂地域の一部を起源とする各種の火山岩の砂粒や礫が含まれていて、洪水のときにできるような土砂を多量に含んだ乱泥流などによってできる、砂泥礫互層が多く存在しています。

 

しもべ層や身延層は、海洋プレートに押され続けてきたため、山地北部では西八代層群とともに北東ないし東北東方向に褶曲し、山地の南部に行くと、北東から南西方向ないし南北の褶曲へと次第に変化しています。

 

参考文献:山梨県環境科学研究所 松田時彦氏著「富士山の基盤の地質と地史」、産総研地質調査総合センター「身延地域の地質」

天子山地を構成する地層の年代表

出典:産総研地質調査総合センター「身延地域の地質」から抜粋して作成

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